徒然なるままに

文化の維持や発展・文化経営が地域活性化に繋がる

地域活性化。

日本全国、いや、世界地域で、この言葉が出てこないことは無い。

最近、企業家の勉強会で「中小企業ができる地域活性は」みたいな議論があった。
雇用促進、経営革新、育児介護など福利厚生の充実、新しい企業や工場の誘致、税金等の優遇、などなど、それらしい意見はたくさん出てきた。

それらは一つ一つ、大事な事で、否定の余地はない。

自分がこの題で思ったのは地域活性のポイントで必要なのは「文化をつくる」事だと思った。
地域の祭りの充実、コミュニティの充実、または新たな文化の創出。

富士宮でいえば、秋のまつり、春のまつり、その他色々ある。

山車や屋台を引き回す伝統の祭り、富士宮囃子の秋祭り(富士宮まつり秋宮?)は代表例だ。
そのまつりのために、遠くに出た者も帰ってきたりもする。

新しい祭りでいえば、平成初期の富士宮青年会議所メンバーの起案により生まれた富士宮の御神火祭り。
御神火の種火を移した神輿を担ぎ、神田川を遡上する風景は一見の価値のある迫力のあるものだ。
その後はまちの行事として移管され、新しい祭りといえどすでに20年以上の年月が過ぎ、宮おどりとあわせ、夏の風物詩の一つとなった。

また、富士宮には4つの酒蔵があり、どれも美しい水を元に作られた名酒ばかりだ。
これらの酒蔵が地域と協働して企画する「酒蔵開き」「酒蔵めぐり」は人気で、冬の行事として欠かせない風景となってきた。

ただ、単に文化だ、伝統だ、といっても、「ひとの心」の方向を向いてないと、それらは衰退してしまう。
伝統の富士宮囃子のまつりも、昭和40年代、経済事情、治安事情(ケンカや飲酒問題など)等様々な事情により、自粛、中止をする区も増え、散逸の危機があったという。

その後、経験者の指導のもと、もちろん安全面を含めた運営方法も工夫・改善しながら、特に青年の力を結集し50年代には徐々に復活を見せることとなった。
平成4年には、全区そろっての共同催事が実現した。(当時まだ設立されていなかった阿幸地=悪王子を除く)

企業経営においては、時代にあわせたサービスの改善、変化、創造が当然に大事になってくるが、伝統のまつりも同様なのだと思う。

伝統だからと、頑なに変化を固辞するものならば、一部の原理主義者以外は寄り付き難いものになってしまう。
社会の時代背景にあわせて、守るべき基本はもちろん保持しつつも、いかにより充実した祭りになるかを常に考え、工夫し、取り組むことができるかどうかが、文化伝承の鍵となってくるだろう。

富士山本宮浅間大社は、全国の浅間大社約1300社の総本宮で、歴史的にも、文化的にも貴重な存在なのは言うまでもない。
「富士の大宮」「富士のお宮まいり」これらの言葉が、富士宮市の名前のもとにもなっているのだ。

そんな浅間大社でさえ、維持、運営は決して楽ではない。

神社経営は時代の流れで常に波があるし、事実上地域と一体のようなものであるのだが、時と場合には「宗教法人でしょ」という理由で行政等からは他の宗教と同等の対応となり支援や補助にもあまり頼れない。

そうなると、一般参拝、正式参拝、お宮詣り、寄付などの実績充実に迫られるが、価値観の多様化、神社信仰の希薄化などで、それらも心もとない。
各種式典、挙式など自主事業・サービスを提供することで収益確保という手段もあるが、県内でいえば、正直、会館を持つ静岡浅間神社や三嶋大社の方がより充実している。

まちのどんなまつりも、文化伝統的施設も、「経営」の視点からは免れることは出来ない。

逆を言えば、冒頭のテーマに戻るが

「中小企業ができる地域活性」の一つに、こうした文化の経営に貢献することで実現できるのではないかと思う。

従来のありがちな「寄付」にとどまらない、その一歩向こう。

例えば、直接・間接問わず、経営を行う、ノウハウを支援する、支援組織を作る、資金や人を集める、(次の活動原資の為の)利益をつくる、導線を作る、など、一歩踏み込んだ文化経営。

また、新しい市場をつくるマーケティング(企画開発から販促、定着まですべて一通り行う意味での。)も重要かとも思う。

例えば先程の浅間大社でいえば、神式の結婚式はあるけれど、葬儀は少ない。なれば、そうした神式葬儀などを、サービス化するのもありかと。

「利益」とか「サービス」というと身も蓋もないかもしれないが、サービス=提供・差し出すもの、ということで、それによる対価をえて、次の発展に備えるのは至極当然の事。

経営者の知識を、中小企業のエネルギーを、地域文化経営に向けてみてはどうだろうか。

地域が変わらないだろうか。

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