徒然なるままに

生きててよかった。朝が来た。

大げさのように聞こえるかもしれないが、

先生たちのミスにより

死の崖っぷちまで行き、

「死」が頭の中をよぎったのは本当だ。

だいぶ弱気にもなった。

部屋でぽつんと一人、健康回復のために、自ら決断した手術の経過とはいえ

こんなにも、寂しく切ないものなのか、と、いろんな気持ちがよぎった。

49歳で、難病で早世した母親を看取った年齢にも近づいてきた42歳。

何度も挿管し、注射し、入退院を繰り返した母親のつらさが今わかった。

「母ちゃん、がんばろう」と、励ましても「私はもういいよ」と

ほぼ、うつ状態にもなり、気持ちが滅入ってしまった母の一端が、今ならわかる気がした。

 

寝ている妻や子に心配かけてもいけないと思い、妻たちには特にメッセージも入れなかった。

明け方「おはよう。生存報告。おきれたよ」と。妻にLINE。

 

「今日は採血があります」と、起き抜けに血を抜かれた。

「あんだけ昨日でたのに、抜いて大丈夫なんですか?」

看護師さん笑って

「意外と人間は丈夫で新しい血も作られてますよ」と。

先生に対してはもはや、不信感しか無いが、ちょっと太めの、50前後と思しき経験豊富そうな看護師さんの言葉は、なぜか「ああ、そうだよな。人って強いよな」って聞いて思い直した。

あんな夜だったので、飯なんて食えるか!と思い、29日朝の食事はキャンセル済みだったが、お茶だけ飲んだ。

 

出血のひどかった左鼻が、明け方になりようやく落ち着いてきたようで

8時過ぎ、お茶を飲む際にガーゼを外して、そのまま、様子を見ている。

バルーンのチューブが病人感を一層際立たせている朝だ。

ひょっとしたら、来ないかもとさえ、弱気になってしまった朝だ。

失った血液、作られる血液、ぐるぐる巡って、生きてる朝だ。

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